サマリー
リモートワークでサボる社員、無理な営業をする営業マン。これは「モラル」の問題でしょうか?実は、行動と責任の「ズレ」が原因かもしれません。人を責めるのではなく、構造を変える視点を考えます。
この記事でわかること
- モラルハザードとは何か、どう発生するのか
- 「モラルの問題」から「構造の問題」への転換
- 精神論ではなく、構造設計で解決する視点
「自動車保険に入っているから、少しくらいスピード出しても大丈夫だろう」
「どうせ会社の経費で払うから、多少高くても別にいいや」
「他人がリスクや責任を負ってくれる」と感じたとき、あなたの行動は変わりませんか?
自分のお金で買うときは慎重なのに、経費精算できるとわかった途端、気が緩む。保険に入っていると、運転が少し大胆になる。
そんな経験が、誰にでもあるのではないでしょうか。
1. モラルハザード:「ズレ」が行動を歪ませる
日常やビジネスの現場で、こんな場面を見かけることがあります。
- リモートワークで生産性が落ちている社員
- 月末に無理な契約を取ってくる営業マン
- 保険に入ってから運転が荒くなったドライバー
これらは「モラルの欠如」「責任感の欠如」と批判されがちです。しかし、本当にこれは「モラル」の問題なのでしょうか?
同じ人でも、オフィスでは真面目に働くのに在宅では手を抜く。ノルマがなければ顧客本位なのに、ノルマがあると無理な営業をする。保険がなければ慎重に運転するのに、保険があると大胆になる。
つまり、同じ人でも、状況が変われば行動が変わるのです。
ということは、問題の根源は「人」ではなく、「状況」にあるのかもしれません。もっと正確に言えば、「行動する人と、責任を負う人がズレている」という構造に問題があるのかもしれません。
モラルハザードとは何か
この現象を「モラルハザード(Moral Hazard)」と呼びます。
モラルと言っても、倫理や道徳の話ではありません。では、モラルハザードとは何でしょうか。
それは「リスクや責任を回避するための仕組みがあることで、かえって危険な行動を誘発する状態」のことです。
言わば、「行動する人と、責任を負う人がズレている状態」なのです。
例えば、次のようなパターンがあります。
① 情報のズレ:行動する側だけが本当の状況を知っている
リモートワークの社員が本当に集中して仕事をしているのか、それともテレビを見ながらだらだら過ごしているのか。その情報を持っているのは、本人だけです。
行動する本人が「状況の真実」を独占している状態になると、「多少手を抜いてもバレないだろう」という気の緩みが生まれやすくなります。
② インセンティブのズレ:行動する側が自己の利益を優先する
営業マンが「毎月の売上ノルマ」で評価される仕組みがあるとします。このとき、営業マンにとって最優先になるのは「今、売れるかどうか」です。
- 無理なセールストークで売りつける
- クレームが出ても関係ない
- とにかく数字だけ稼げばOK
「顧客や会社全体にとっての利益」と「本人にとっての利益」がかみ合っていない状態が「インセンティブのズレ」です。
③ リスクのズレ:行動する側がリスクを負わなくて良い
自動車保険に加入していれば、「万が一のときは保険で何とかなる」という安心感が生まれます。この安心感が運転への注意を緩め、結果として事故のリスクを高めてしまうことがあります。
「行動するドライバー」と「リスクを引き受ける保険会社」のリスクがズレているわけです。
| 状況 | 行動する主体 | 責任を負う主体 | どんなズレか? |
|---|---|---|---|
| リモートワーク | 社員 | 管理者 | 社員の「実際の行動」と管理者の「把握できる情報」がズレている |
| 営業の売上ノルマ | 営業マン | 会社・顧客 | 営業マンの「短期的な売上利益」と会社・顧客の「長期的な関係性」がズレている |
| 自動車保険 | ドライバー | 保険会社 | ドライバーの「運転行動のリスク」と保険会社が「負担するリスク」がズレている |
どんな場面でも共通するのは、「行動と責任の主体がズレている」という構造です。
2. 人を責める前に、構造を見直す
モラルハザードの本質は「構造のズレ」にあります。だとすれば、「もっと真面目にやれ」という精神論では解決しないのです。
なぜなら、問題の根源は「人の心」ではなく、「構造」にあるからです。構造がそのままである限り、どんなに「真面目にやれ」と言っても、人は同じ行動を繰り返します。その行動が、その構造の中では「合理的」だからです。
つまり、人を変えようとするのではなく、構造を変える必要があるのです。
📖 構造の問題として捉える視点:ハインリッヒの法則とスイスチーズモデル―ミスという情報
「構造を変える」とは──3つの対策
ズレを修正するための具体的な設計手法を見ていきましょう。
① 情報のズレを減らす──可視化・透明化
問題の構造
リモートワークで生産性が見えづらくなると、人は怠けがちになります。これは、社員が「実際に何をしているか」という情報を独占している状態です。管理者は状況が見えないため、「多少手を抜いてもバレない」という環境が生まれてしまいます。
対策:情報を可視化する
進捗報告ツールやオンライン会議を通じて「成果を見える化」すれば、情報の非対称性は和らぎます。具体的には、
- チェックリストやログの管理:何をいつ行ったかを記録する習慣をつける
- 進捗の定量的可視化:タスク管理ツールなどで、進捗状況を数値やグラフで示す
- 定期的な他者からのフィードバック:週次ミーティングやペアワークで、他人の目を入れる
これらは「見られている」という意識を生み出し、自己管理の精度を高めます。
実践例
- オフィスワーク:物理的に同じ場所にいることで、自然と監視の目が働いていた
- リモートワーク:進捗管理ツールや定期的なオンライン会議で、情報の非対称性を減らす
② インセンティブのズレを揃える──連動報酬の仕組み
問題の構造
営業マンが「売れればOK」と思って、無理な契約を取ってきてしまう。これは、営業マンの「短期的な売上利益」と会社・顧客の「長期的な関係性」という、異なる目標が存在している状態です。
営業マンにとって最優先なのは「今、売れるかどうか」です。だからこそ、
- 無理なセールストークで売りつける
- クレームが出ても関係ない(契約さえ取れればOK)
- とにかく数字だけ稼げばOK
という行動が合理的になってしまいます。
対策:成果と責任を連動させる
「成果と責任を連動させる」仕組みを導入することで、インセンティブを揃えることができます:
- 売上だけでなく「リピート率」や「解約率」も評価指標にする:短期的な売上だけでなく、長期的な顧客満足度も評価に含める
- 契約後のアフターフォローまで担当させる:契約を取った後の責任も負うことで、無理な契約を避けるようになる
- チーム全体の成績にも報酬が連動する:個人の利益だけでなく、チーム全体の利益も自分事になる
インセンティブを「自分だけの短期利益」から「全体の長期的な利益」にシフトさせることで、選択の質が変わります。
実践例
- 悪い例:売上だけを評価する → 無理な契約が増える
- 良い例:売上、リピート率、顧客満足度を総合評価する → 長期的な関係を重視する営業が増える
③ リスクのズレを抑える──自己負担の導入
問題の構造
自動車保険に加入していれば、「万が一のときは保険で何とかなる」という安心感が生まれます。この安心感が運転への注意を緩め、結果として事故のリスクを高めてしまうことがあります。
ドライバーは「事故が起きても保険で直せる」と感じているため、リスクを感じにくくなっています。一方、保険会社は事故のリスクを負担しています。保険料が上がったり、場合によっては保険を解約されたりするリスクがあるからです。
対策:リスクを戻す
自動車保険では、次のような構造設計が使われています。
- 自己負担(免責金額)を設ける:すべてを保険で賄うのではなく、一定額は自己負担する
- 事故に応じて保険料が変動する(ノンフリート等級):事故を起こすと保険料が上がる仕組み
つまり、「ノーリスクではない」という状態を設計することで、安全運転を促します。これは「選択にリスクを戻す」という調整なのです。
実践例
- 免責金額がない保険:事故が起きても自己負担がない → 運転が大胆になる可能性
- 免責金額がある保険:一定額は自己負担する必要がある → 慎重に運転する傾向が高まる
このように、リスクを完全に取り除くのではなく、「適度なリスク」を残すことで、行動を適切に保つことができるのです。
flowchart LR
subgraph "問題:構造のズレ"
P1[① 情報のズレ<br/>行動する側だけが<br/>状況を知っている]
P2[② インセンティブのズレ<br/>自己の利益を<br/>優先する]
P3[③ リスクのズレ<br/>リスクを負わなくて<br/>良い]
end
subgraph "対策:構造設計"
S1[可視化・透明化<br/>進捗管理ツール<br/>定期的なフィードバック]
S2[連動報酬の仕組み<br/>リピート率評価<br/>アフターフォロー責任]
S3[自己負担の導入<br/>免責金額<br/>保険料変動]
end
P1 -->|修正| S1
P2 -->|修正| S2
P3 -->|修正| S3
style P1 fill:#ffcccc
style P2 fill:#ffcccc
style P3 fill:#ffcccc
style S1 fill:#ccffcc
style S2 fill:#ccffcc
style S3 fill:#ccffcc📖 インセンティブ設計の詳細:インセンティブ設計:人を動かす「しくみ」の作り方
3. まずは、ズレに気づけるか
構造設計が大事だということはわかりました。しかし、その前に重要なことがあります。構造を設計し直す前に、まずはズレの存在に気づくことです。
ズレに気づかなければ、構造設計のしようがありません。気づけない限り、「モラルの問題」として人を責め続けることになってしまいます。
人の行動が「非合理」に見えるとき、私たちはつい「この人のモラルが悪い」「この人の責任感が足りない」と考えがちです。それは当然です。表面的に見えているのは「人の行動」だからです。
しかし、その裏で何が起きているかを考えてみてください。
- なぜこの人は、わかっているのに変な行動をするのか?
- なぜこの組織では、ムダな施策が繰り返されるのか?
- なぜ同じ問題が、何度も何度も発生するのか?
それは「誰かの意思が間違っている」のではなく、「構造的にそうなるようにできている」だけかもしれません。
注目すべきは、この「構造のズレ」が見えにくいことです。ズレは構造の中に埋め込まれているため、一見すると「人の問題」に見えてしまいます。
ズレに気づくための視点
ズレに気づくために、次の2つのステップで思考を整理してみてください。
① 登場人物や利害関係者を整理する
まず、その状況に関わっている人々を洗い出します。
外注先の作業者が、発注側に見えないところで手を抜いているとします。表面的には「作業者のモラルの問題」に見えます。しかし、もう一歩踏み込んで考えてみましょう。
この状況に関わっているのは誰か?
- 外注先の作業者:実際に作業を行う人
- 発注側の担当者:成果物の品質に対する責任者
関係者を整理することで、「誰が行動していて、誰が責任やリスクを負っているか」が見えてきます。
② それぞれの立場で利益や目的を考える
次に、整理した関係者それぞれの立場から、何を求めているのかを考えます。
外注先の開発チームが、とにかく納期に間に合わせることを優先して、品質を軽視しているとします。表面的には「開発チームのモラルの問題」に見えます。しかし、もう一歩踏み込んで考えてみましょう。
それぞれの立場で、何を求めているか?
- 外注先の目的:納期を守って、すみやかに作業を完了すること
- 発注側の目的:長期的に保守しやすく、品質の高い製品を得ること
この2つの目的がズレていませんか?それぞれの立場で利益や目的を考えてみることで、ズレに気づけるのです。
外注先の開発チームが品質を軽視していると気づいたら、それは「インセンティブのズレ」かもしれません。納期を守ることが最優先で、品質は二の次になってしまう構造になっているのです。
この場合、例えば納期だけでなく「保守性」や「バグの少なさ」も評価に含める。あるいは、契約完了後の一定期間は品質保証を義務づける。こうした仕組みで、インセンティブを揃えることができます。
人は本質的にズルいわけではありません。「ズレた構造」の中に置かれると、無意識に「ズレた行動」をしてしまいます。
だからこそ、責める前に構造を見る。人のモラルを疑う前に、構造を疑う。ズレの存在に敏感になることが、モラルハザードに向き合う第一歩なのです。
そして、ズレに気づいたら、見つけたズレの種類を特定し、構造を変える具体的な対策を適用していく。そうすることで、モラルハザードを解消できるのです。
📖 判断のバイアスを理解する:確証バイアスとは?見たい現実だけを見る判断の罠
まとめ:「行動」を変えたければ「構造」を変えよ
「もっと真面目にやれ」「モラルを持て」という精神論では、問題は解決しません。正しく問い直す必要があります。
人を変える前に、構造を変えられないか?
人の行動が「非合理」に見えるとき、その裏では何かがズレているかもしれません。
- なぜこの人は、わかっているのに変な行動をするのか?
- なぜこの組織では、ムダな施策が繰り返されるのか?
それは「誰かの意思が間違っている」のではなく、「構造的にそうなるようにできている」だけかもしれない。
だから、責めるよりも見直す。怒るよりも仕組みを変える。それが、「合理的な世界の直し方」です。
あなたの周りにある「変な行動」の裏には、どんな「構造のズレ」が隠れているでしょうか?そのズレを見つけ、設計し直すことができれば、誰かを責めることなく、より良い選択が生まれるかもしれません。
学んだこと
- モラルハザードは「人のモラルの問題」ではなく「構造のズレの問題」である
- 同じ人でも、状況(構造)が変われば行動が変わる
- 精神論では問題は解決しない──構造を変える必要がある
- 情報・インセンティブ・リスクの3つのズレがモラルハザードを引き起こす
- 構造設計とは、人間の不完全さに合わせて環境をつくること
- 非合理に見える行動の裏には、構造的な原因が隠れている

